「小桜姫物語」浅野和三郎著(潮文社)霊界の実相を伝える珠玉の書

この世に生きている、または生きていた人が残した「心霊関係、あの世についての本」というのは非常に数多いかも知れません。

けれど逆に、死んであの世に行った人が『あの世で書いた本』、というのは相当に珍しいはずです。

正確に言いますと、『死んだ人が、この世の人に伝えて書いた本』ですが、少なくとも私の知る限り、あまたある心霊関係、スピ関係の本の中でもほんの数えるほどしかありません。

ですが、その分いっそう興味がつのるのではないでしょうか?
今回はそういう珍しい本の一つ、「小桜姫物語」についてお話ししましょう。

「小桜姫物語」(浅野和三郎著)について

「小桜姫物語」というのは、ごくごく簡単に言いますと、今からおよそ五百年くらい過去に生き、今は亡き人となっている小桜姫という女性が、あの世から語ってきた様々な事柄、あの世の実際の様子とか、現世との関わり合いなどをまとめた本です。

ここで一つ、ちょっと低俗的な関心事になってしまうのですが、この本のように、死んだ人があの世から、生きている人の口づてに伝えられた言葉で書いた本というのは、この世に発表されるためには、当然ですがどうしても生きている人の手を借りて執筆し、出版もしなくてはならないのです。

その結果、厳密に言えばあの世の人が「著者」となるはずです。
版権だってあの世の人のもの。
この世の基準から言えば間違いなくそうなります。

なのに、現実には当然のことですが、その(死んだ)人の話を聞いた『この世の人』が原稿を作り、著者となっていることとなります。

まあ、考えてみればあの世の人が著者だからと言って、原稿料をその人にわたすことなどできはしません。
ですので、ネンゴロにお礼を言ったりお供物を添えたりする、というのがこの世の人たちにできるせいぜいのコトでしょう笑

とはいえ、まじめに考えれば、そういう著書に接することができた、という縁を顧みて、本来の著者であるあの世の人にも感謝の気持ちはもっておくべきでしょう。

そんなわけで、そういう非常に珍しい「死んだ人があの世ので書いた本」、もっと厳密に言えば、
「死んだ人があの世で経験した出来事を、この世の人に伝え、この世で出版した本」。

そのうち、日本で最も代表的と言える本であり、同時にあの世の有り様を最も克明に明かしてくれている本のひとつが、今回ご紹介する「小桜姫物語」(浅野和三郎著 潮文社)になります。
 

この本は、もちろん実在の人物で、戦国時代、相模三浦氏最後の当主、三浦荒二郎義意(よしおき)の正妻である小桜姫が、その短い生涯を終えて霊界で修行する経験談を綴っているものです。

筆者の浅野和三郎氏は明治末期から昭和初期にかけて、わが国に心霊研究を本格的にもたらした先駆者として有名です。
本書はその浅野氏の妻で、霊感のある多慶子夫人が霊媒となって小桜姫の霊魂を自身におろし、夫人の口を使って姫が語った内容ということです。

多慶子夫人の霊能力はすごいものだったらしく、この小桜姫の著書の他、その前には浅野氏の実子で早世した新樹氏の霊魂も自身におろし、霊界からの通信を行っていて、その時の「霊言」をまとめたものが「新樹の通信」という、別な著作になっていて、やはり実父、浅野和三郎氏の手になるものです。

興味深いのは、「小桜姫物語」ではなく、むしろこちらの「新樹の通信」で明らかになっているのですが、実は多慶子夫人の守護霊というのが他でもない、この小桜姫だという下りが書かれています。

ここで私の個人的な推測なのですが、このように霊感の強い人とか、実力のある霊能者という人の背後には、こういった特別な守護霊がついていることが多いように感じます。
たとえばあの漫画家・つのだじろう氏によく協力していた霊能者・西塔恵(さいとうけい)氏にもまた、同じようにさる戦国時代の西国の姫君が守護霊となって守護している、という情報がありました。

「新樹の通信」は、「小桜姫物語」が出版される前に書かれたようですが、その中でもよく小桜姫が登場してきます。
そして、父・浅野和三郎氏の要請で、亡き新樹氏に、小桜姫が同行して(あの世の)伊勢神宮に詣でたり、竜宮城に行って一緒に豊玉姫(乙姫)様に謁見したりと、大変面白く、そして興味深く読める内容です。

なお、「天地有情」などで当時から非常に高名だった作家、土井晩翠氏も本書の序文に寄稿し、本書の絶賛をしています。

私が古本市で購入した「小桜姫物語」。かなり古い版で、
ご覧の通り帯には土井晩翠氏の絶賛コメントがあります♫

夫である三浦荒二郎義意氏が、小田原の北条氏に攻め滅ぼされて自害した後、三浦半島の一角に逃れた小桜姫は、その隠れ家で隠遁生活を送りましたが、夫を亡くした悲しみにくれる中、自身も病に伏せり、短い30年の生涯を閉じました。

その後彼女は霊界に引き移って、先達である龍神の老人に指導を受けて修行し、今現在は神様となって諸磯(もろいそ)という集落にある「若宮神社」に鎮座している、と本書では伝えています。

下の地図で『諸磯神明社』というのがそこに当たります。

アクセスですが、京急線の終点駅「三崎口」で下車した後、駅前から出ているバスの本数が非常に少ないのですが、私も2,3回訪れたことがあります。
その際のことはまた別な記事でお伝えしようと思います。

小桜姫の経験談は非常に興味深いもので、自身が死去する前に自害して果てた夫・三浦氏をはじめ、祖父や実の母(小桜姫の死後、数年後に死去)、侍女など現世で縁を持った人たちとの再会、竜宮城や玉依姫(たまよりひめ)、天狗との邂逅などなど、奇想天外と言えるような内容が綴られています。

あの世でも波瀾万丈の小桜姫?悲しみと恨み辛みを乗り越えて、指導役のおじいさんと二人三脚で修行し、守り神に

小桜姫が現世に生きたのは、夫の三浦荒二郎義意氏が北条氏に破れて自刃した出来事から考えて戦国時代のただ中だった頃になります。

死んだ直後、あの世で息を吹き返して(?)正気に返った小桜姫は、自身がもう死んだこと、両親を残して娘の自分が先だったこと、そして夫の三浦氏が北条氏の奸計に陥れられて滅んだことなどが頭をよぎるばかりで混乱と悲しみのどん底だったと言います。

このため、死んだ当初はにっくき夫の敵、北条氏に怨霊となって取り憑いて滅ぼしてやりたい、などと祈願していたとも姫自身が語っています。

その彼女を安心させ、そして正しい霊界での修行を促して導いたのが、姫の指導役で、実は龍神のおじいさんだったそうです。

若宮神社。小桜神社は左奥にあります。

その後、修行が進むにつれて、祖父や自身の守護霊で平安時代に生を受けた女性と初めて会い、また先に亡くなった夫の三浦氏とも再会するなど、ある意味読んでいて「ほっこり」する経験談です。

そして指導役のおじいさんのすすめで乙姫(実は豊玉姫)とお会いすべく、竜宮城(あの浦島太郎に出てくる竜宮城で、実は海の底ではなく、ちゃんと「地上」に存在する)を訪れたものの、あいにく乙姫様が不在で、その妹に当たる玉依姫と謁見したことも説明されています。

その他、霊界にしかいない鳥の声を聞いたり見たり、天狗の里を訪ねて見たりなどなど、「知らないでいると損する」といって良いような、不思議でそして楽しい経験が語られています。

そして、修行が一通り終わると、生前住んでいた住まいの近くにある諸磯の若宮神社の社に鎮座することが決まり、現在に至るまで社の御幣に鎮まっておられるようですね。

諸磯にある小桜神社(向かって右)。若宮神社の本殿の裏手にあります。

そうして若宮神社に引き移った後、自身の元に祈願に来る人びとについても記載があるのですが、その中で一番私自身の興味を引いたのは、「浮気した亭主が、怒って逃げた嫁と仲直りしたくて、その居場所を自分に教えてくれるように頼みに来た」という内容でしょうか。

嫁に逃げられてしょんぼりした夫が、自分のところにこういうことを願い出てきたことに、社の中で聞いていた小桜姫自身もあきれて笑うしかなかったとのことです。

ただそうはいうものの、やはりそこは「神様」で、その純朴(?)な男性の願いを聞き届け、あわや怒り心頭に発した嫁が袖に石を何個も入れて崖に立ち、今にも海に飛び込もうとする矢先、彼女の眼前に装束をまとった男性に化身して彼女を仰天させて引き留めた、といいます。

これは小桜姫が神社の神様となって表した霊験の一つに過ぎませんが、しかしながら他の心霊関係の類書ではなかなかこういう内容に出会えないのではないでしょうか?

他の心霊関係の本では接することのできない情報も多いと思いますし、同時にすごく肩の力を抜いて、かしこまらずに楽しく読める本だと思うのです。

ちょっとコラム
上でご紹介している小桜姫の鎮座する社(やしろ)は、それ自体を本殿の若宮神社と区別して「小桜神社」と呼んでいるようです。

写真では右側の大きな社が小桜姫が鎮座しているらしいですね。その証拠と言いますか、写真でもおわかりの通り、社の両端の柱には、細長い花瓶に花が生けてくくりつけられています。

こういう光景、他の神社ではちょっと見られない、ユニークな特徴ですが、また同時に「ここには女性の神様が鎮まっていらしている」という意味も込めてのことだろうと思います。

ところで、じゃあ左側の小さな方は一体何なのか?訪れた方の中にはそんなふうに興味を持つ方も多いのではないでしょうか?

地元の方に尋ねてないので正確な情報はわかりませんが、私も数回訪れた中で、試しにこの小さい方の社のひもを振って鈴を鳴らしたことがありました。

そうしたところ、小さなかわいい音でチャリチャリ音を立ててくれます。

鈴だからなるのは当然なのですが、その瞬間、私の頭にひらめいたことがありました。


「これ、馬の鈴だ!」

と一瞬思いましたが、社の中に白い狐が置かれているので、稲荷神社と思えます。

ただ、この記事でご紹介している『小桜姫物語』の中で書かれていることとして、小桜姫は生前、飼っていた一頭の馬を非常にかわいがっていたという下りがあります。

その彼女が事切れてからこの世を離れ、幽界で修行をしている間に指導役のおじいさんに導かれて死んだ馬の集まる場所を訪れてみたところ、その馬と再会できたことが描写されています。

つまり、その時点ではすでにその馬がやはり寿命が尽きて死んでいた、ということですね。

私もこのくだりを読んだ記憶があったので、それがとっさに鈴の音を聞いて思い出した、ということなのかも知れません。

けれども小桜姫は、その後に幽界で再会した夫・三浦荒次郎義意氏とともに、その馬を生前の頃と変わらずかわいがっている様子です。

生前は姫の方でこの馬に「鈴掛(すずかけ)」と言う名前をつけたかったようですが、夫の三浦氏に「そんな名前では女々しすぎる」とかディスられて、夫の主張する「若月(わかつき)」と名付けた、と本書にはあります。

ですがこうして二人ともあの世に引き移ってからは、別にそういう現世のこだわりなどはどうでも良い、という話にまとまってしまい、「姫の「鈴掛」で私もかまわない」となったと言います。

こうした夫婦の間のこじれ話も本書は取り上げていて、面白いですね。

私が本書を買ったのは、もうかれこれ10年くらい前のことです。
千葉の三省堂で開かれていた古書フェアでたまたま目にしました。

私の場合、何とも不思議ですが、こういうスピ系の本があることを見知って、欲しいと思ったらそれほど日を置かずしてどこかで手に入る、という経験を何度もしています。

このときも以前から気になっていた「小桜姫物語」というこの本を、古書店でたまたま見つけ、しかもそれが写真の通り、定価の1700円よりもぐっと安い1000円、とあったので即買いに走りました。

店頭で見つけたときのままに今でも所有しています。

自分的には大変読みやすく、内容も新鮮で啓発的なことも多いので、時折読み返しています。
奥付には出版年が昭和60年とありますが、文章自体は戦前そのままのようです。

実際、本書は昭和12年(1937年)に初版として出版されたその復刻版で、活字や文体も初版のままのようです。
このため、それなりに活字も古くて、また昭和60年の出版のため紙も黄ばみが相当ありますが、それほど読むのに苦労はしません。

ご覧の通り表紙にはフィルムが貼られ、縁がテープで留められています。
私がやったわけではなく、三省堂の古書フェア店頭で売られていたままの様子です。
前の持ち主の方が大変に大事にしておられたようですね。

ところで、本書は以前でこそこうして製本として売られていましたが、今では版権が切れたらしく、青空文庫などで無料で読むことができます。

「著者名」を「浅野和三郎」として、その著書を探ればすぐに出てきますから、最もお手軽に閲覧できる本と言えます。

私が本書を買った時点でも、おそらく「青空文庫」は運営されていたと思いますし、だからその中でさがそうと思えばこの「小桜姫物語」も見つかったかもしれません。

ただ、青空文庫のようにネット上のみの閲覧でも構いませんが、その他にこういう実際に一冊の本として座右に置いておくのも良いと思うのです。

とりわけ、自分ですごく気に入った本や、自分的に相当に重要な内容が書かれている本などは、ネット上ではなく、実際に紙媒体の書物として読みふけってみるのもよいですね。
このあたりは人それぞれだと思います。

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