自分の前世についてある人から言われたこと。自分の意識の7割、8割はこういう人

自分の前世について、興味のある方は多いと思います。

最初に結論ですが、人間は、今生きている自分たちが死んだら、霊界に進むこともあれば、そうでなく生まれ変わってくることもあるそうですね。
もちろん霊界に進む、というのはこの世に生まれ変わってくる、ということではないようです。

今回は、この前世というテーマについて、自身の体験を一緒に語っていきます。

私自身、あまり前世についてはそれほど気にかけることはなかったのですが、あることがきっかけになってから、少なからず自分の前世については関心を持つようになりました。

もちろん直接的には自分の前世が何だったのか、ということで、今生きている自分に何の影響もありません。

ですがその一方で、確かに前世で何をしていたかを正しく知ることで、今生きている自分がどのような立ち位置になるのか、自分に与えられた課題は何なのかを知ることも必要だという主張もありますし、私自身もこれには異を唱えません。

しかしながら、自分の前世を正しく知るということは、非常に難しいことです。
この世知辛い世の中、ともすればそういう当てのない願望をあからさまに見せていると、どこでどういう違法行為のエジキになるか、ワケのわからない理由をつけられて大金を払う羽目になったりなどなど、どんなリスクに巻き込まれるかわかったものではありません。

だから強引にこういう情報を追求する行為、というのは絶対におすすめできません。

ですので、以下にお伝えするのは決して押しつける意味ではなく、私がたまたま自分の前世について、ある人が唱えた話の一つとしてご紹介してみます。

まず聞かされたのは自分の前世、そして意外な情報も

以前私は東京杉並区の古いアパートに下宿していましたが、その際にいろいろと不思議な出来事が起こったのをきっかけに、ある人から高名な霊能者という人を紹介され、その人に霊的な相談、つまり霊査を受けてみたことがあります。

ですが、実のところ相談の最初にその霊能者から言い聞かされたことは、意外なことに自分の前世についてでした。

上の記事の内容とダブりますが、その女性霊能者は私が相談内容を説明してみた後、やおら話を私の前世に振ってきたのです。

その内容というのが

自分の意識の7割、8割方は前の戦争、つまり第二次大戦、太平洋戦争で兵士として出征し、中国で死亡した人のもの

ということです。

彼女の話によると、かなり若いうち、大体二十歳前後で兵士として中国に出征し、そこである夜、敵兵に不意打ちされて撃たれて死んだとか言われていました。

そしてこれも上に引用した記事とダブりますが、そのように「突然死」のような形で死んだ後、すぐにこの世にこうして生まれ変わってきている、といわれています。

それを聞いた私は当然に意表を突かれましたが、そのとき私はたたみかけて、では私が中国のどのあたりで死んだのか、そこへ今、行ったりしても良いのか、などと聞いてみています。

それに対して彼女は、まず最初の質問に対して、私の魂、というか意識が、北支、南支と語っている。どうやら中国大陸の各地を転戦していたようね、と答えています。
なお、北支というのは中国大陸北部地方、南支は中国大陸の南部地方のことで、いずれも戦前に使われていた名称です。

そして二つ目の問いかけに対しては、行かない方が良いときっぱり言われました。

というわけで、まず私の問いかけには関係なく、この熟年女性の霊能者はまず私の前世について説明してきました。
今回は、その二人のうちの最初の霊能者によって霊視された結果、自分の前世とそれにまつわる事柄を深掘りしてみようと思うのです。

話を続けましょう。
確かに言われた私としてはショックを受け、自分の問いかけに対する答えを得ようとする前に、なんだか雲をつかむような気持ちになったのは事実です。
中でも自分が前世で死んだ場所、つまり中国大陸のどこかの土地には行かない方が良い、とか言われたりすれば、当然に疑問もわきます。

とりわけこうやって、自分の問いかけに直接答えることもせず、いきなり前世などについて語るというのは変だとも思いましたし、実際に彼女はホンモノなのか、みたいな疑いすら浮かびました。

前世の影響が今にまで及んでいるのか ピタリと指摘されて当たった身体の反応とは

ですが一般論として、確かにそういう疑いを持つのは当然なのですがその一方、不意打ちをされて死んだ際には相当な恐怖を経験していたということで、今の世にこうして生きていても、そのときの経験が身体にも影響を与えている、とまで指摘されました。

ここまで聞かされると、一方で半信半疑に鳴るのが当然のリアクションといえますが、ただ、相手の霊能者からそういう点を指摘されると、確かに当たっていることはあるのです。

とりわけ相談に足を運んでみた当時、私はその霊能者の言うとおりの身体的な感覚がありました。

それというのは、いきなり驚かされたり、びっくりするようなことがあると、全身を無数の針で刺すような痛みが貫いてくるという身体の反応です。確かにこれは、私も時折経験していたことだったのです。

果たしてそういう身体的な反応というものが、医学的、雅楽的な見地から見て合理的に説明できるのかどうか、私は知りません。
ですが実体験としてそういう痛みの感覚は確かに感じたことも多くありましたし、その点については霊能者の言うとおりでした。

そして、相談の後でつらつらと自分自身の赤ん坊の頃の記憶をたどってみると、確かに何かそういう過去世での経験と赤ん坊の頃の記憶とが符合している点があるのです。

それは、同じく赤ん坊の頃に感じていた、普通一般の人たちよりも多く持っている、より鮮明な赤ん坊の時の記憶。
これが次に思い当たります。

ということは、こうして今日生まれて生活している前、その前の生涯で確かに自分は他の場所で駆け回り、動き回って疲労困憊したような経験がある、そのような経験があったことを、言ってみれば体感で覚えがある、ということです。

それに加えて、そのような体で覚えのある過去世の経験というのが、相当にきついもの、感情や精神の上でも大変なものだったような感触すら覚えます。

それこそ、戦争のさなかに敵軍と相対して、激しく戦闘行為をしていたような感触です。

考えてみれば、こうした戦闘行為のような極限の状況から、一転して記憶も意識も白紙の状態に成り変わったような意識のギャップ。
それが赤ん坊の頃の私にあったことになります。

このような感触については説明のしようがありませんし、繰り返しますが霊能者が虚言を吐いている、といわれても、むしろその方が正しいと思われても仕方ありません。

ただ、後日談として付け加えますと、この後約七、八年ほど経過した後、私はこの霊能者が主催する能力開発訓練の合宿カリキュラムに参加したことがありました。

その合宿の際、私は昼食で他の参加者たちとその霊能者と一緒に食事をしていましたが、テーブルに出された豊富なメニューに他の参加者が、これ量がちょっと多すぎるみたいとかぼやいていたことがありました。

それを横で聞きつけた私は、残すのはもったいないので、私は食べちゃいます、みたいに返したことがあります。

それを横で聞いていた彼女、つまりその霊能者は、前世で私は兵隊に出て、かなり食料が乏しくなった時に死んでいるから、食べ物をもったいないと感じてしまう、と指摘していました。

これは私が、自分の前世を前もって彼女に教えていたわけではありません。
つまり、私を白紙の状態で再度私の傍らから霊視していた結果、そういう判定をしていたようです。

ですが、それが先頃の霊視の結果と見事に符合していた、ということになるかと思います。

こういう彼女の判断を見ると、まるきり口から出任せ、というのも当たらない、むしろ確かに自分の前世というのは、前の戦争中の頃という可能性が高い、というしかないのかも知れません。

あるいは、事前知識として私のような外見、要望を持つ人間を、たとえば彼女が観相学者のような知識を持ち合わせていて、その結果、こういう外見の人の前世というのはこういうものだなどという、一種の経験則による割り振りが知識としてあったのかも知れません。

読まれた皆さんはどう感じるでしょうか。
このあたりはこれ以上詮索のしようもないので、ひとまずこれまでとします。

なぜ7、8割なのか

私の前世についての、この霊能者の話をもう少し続けます。

上の霊視の中で、私の前世を語った彼女は、私の意識の7割、8割は前の戦争で死んだ魂だ、ということを告げてきた、とお伝えしました。

じゃあ、なぜ7割とか8割とかいう、魂の分割が起こるのか。
7割とか8割ってどういう意味があるのか。
そして何より、そんな生まれ変わりの仕方ってあるのか。

という疑問があると思います。

ですが、これはどうやらあるようです。
といっても証明こそできませんが、その裏付けとして、前に読んだ小桜姫物という、あの世にいる高級霊に一人が語った本の中に、同じような内容があるからです。

この本の中で、著者である浅野和三郎氏は、戦国時代に死没して、今では自分の妻で霊能者の多慶子夫人の守護霊となっている小桜姫を夫人の体におろし、小桜姫の死後の経験を彼女の口を使って語らせています。

その中で、小桜姫は以下のように伝えてくれています。

死に際して人間は、その魂の霊性の優劣によって生まれ変わったり、死後の世界へ永遠に向かうことになる。ただ、生まれ変わると言っても魂の全部が生まれ変わることもあれば、その霊性の善し悪しによって、魂の良い一部だけを霊界に行かせ、残りの部分を地上に再び生まれ変わらせることもある。
ちなみに、私がこの小桜姫物語を初めて読み、そしてこうした内容を知ったのは、この女性霊能者の霊視からかなりの年月が経っています。

ですが、初めてこの霊視を受けた当時は、確かに私自身、そんな、人間の魂が分かれてあの世に行ったり生まれ変わったりするものか、とか疑問に思ったのです。

しかしながら、この霊能者の霊視の後、何年も後になってこの小桜姫物語を読んで、なるほどと腑に落ちました。

要するに、この世、つまり現世でしっかり修行したり、前世の業ごうなどをしっかり精算することができれば、死んでから魂がまるごと、つまり完全なまま霊界に進むことができるが、そうではなく中途半端な修行で終わってしまったら、それだけ自分の魂は、この世に再生して修行を繰り返さなくてはならない。

それでも多少いい線まで修行ができていたら、魂のある部分はそれに応じて霊界に進むことができたりする、ということになります。

後はこれをどう信じていくか、だと思います。

そして、この点について私自身にとっては、自分の赤ん坊の頃の経験も手伝ったりしていて、かなり身につまされる内容だと思いますし、だから私個人の中ではこれが事実、と感じて良いと考えているのです。

死後のことは死んだらわかる、で良いかも

この世で毎日を衣食住のために苦労しながら生きながらえている私たちは、その毎日の生活だけで手一杯で、なかなかこういった、死んだらどうなるのかとか、生まれ変わりってあるのか亡いのかということについては、考えが及ばないといえるかも知れません。

また、考える余裕ができたとしても、なかなか他の人の説、主張をその額面通りに信じることは難しいでしょう。

ですがどんな人でもわかる、実体験そして一般論として動かすことができないことがあります。

それは、誰でもいつかは死ぬこと。
これは絶対に誰でもわかっていることのはずです。

そして、死後どうなるか、生まれ変わりなどあるのかということについては、結局のところ私たちがそうやって寿命が尽き、あの世に行ってみれば否応なしにハッキリと身にしみてわかる類いのことに他なりません。

少なくとも、誰からどう説明を受けたとしても、あの世のことは、今こうやって命を長らえて生きている限り、又聞きのようなもののはずです。
それ以上に確実な情報は普通得られません。

だから、急いで今知ろうとする必要もありませんし、あったとしてもむしろ、この世でそつなく生活を続けていくために利益となるような程度の中で、無理をしない範囲で漠然とでも知っておけば良いのではないかと思います。

死んだ後のこととか、死んだ人が今どうなっているかとかいうのは、誰もわかりませんし、それだけにかえって果てもなく興味をかき立ててくれるのかも知れません。

だから、なんとかしてこの世にいる間に知ろうとするのも一つの考えかも知れませんが、あまりそれにこだわりすぎると怪しげなリスクも高くなると思います。

それよりも、死後私たちがどうなるか、それは死んだ後で一番正確にわかると考えられますし、だとしたら無理に知ろうと焦る必要もないように思います。

うまくまとめられませんが、とりあえずは目先のことをしっかりと片付けていく。
この世で向き合っていることにしっかり頑張って対処していくことでしょうね。

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