スピリチュアルな体験、これを略してスピ体験と私は読んでいます。
具体的にいうと、幽霊を見たとか、あの世に行って来たとか、普通では考えられない体験の事になります。
スピ体験か分かりませんが、私は幼い頃、というよりもほんのまだ赤ん坊の頃の記憶が今でもあります。
その体験を最近、他の人にも伝えたことがありましたが、相手の人にはずいぶん異常なことのように感じられてしまいました。
そして同時に私の話に半信半疑、ウソをついているだろうとか盛っているだろうとか。
しかしながら、今の今まで自分自身にとってはそれが普通のことではありました。
だから私自身はなんにもウソを言う意図もないのです。
本当に、生まれたてで寝返りもままならないような赤ん坊の頃の記憶、それは今でもあります。
それをちょっとお伝えしてみましょう。
赤ん坊の頃は寝返りも打てず、全部お漏らししていた
大人になると、誰もが自分が赤ん坊の頃の事をはっきり覚えていない、ふつうはそういうものだ、と世間一般では考えられているようです。
ですが、実は私は当年とってすでに人生の後半なのに、赤ん坊の頃の記憶をわりあい覚えていたりします。
赤ん坊にも成長の段階の幅がありますが、私が言う赤ん坊の時の記憶、というのは、私がまだ寝返りも打てず,仰向けに寝かされたままだった、そして、排泄とくると全部お漏らし状態だった、そういう頃のハナシになります。
つまり、ハイハイしたりよちよち歩きしたりできるようになっている、その時期よりもっと前なのです。
それを試しにちょっとお伝えしてみましょう。
頭の上にはベッドメリー、寝たり起きたりだった
私が赤ん坊の頃、よく畳の居間の窓際に寝かされていました。
ベビーベッドなどではなく、畳に敷いた布団に寝ていたのです。
天井にはベッドメリーがつるさていて、それを見ながら、眠ったり起きたりしていました。
他にも、茶の間と隣り合った奥の間に寝かされていたこともあります。
いずれにしても、私も赤ん坊で体も小さく、そして寝かされている布団も小さいものだったためなのか、私の寝ている上には、昔のお膳、と言うか、ちゃぶ台の上に傘のように広げて食べ物を覆うネットが広げられていたりしました。
夏はそれで蚊帳の代わりにもしていたようです。
当時の私は、仰向けのまま、寝返りも打てませんでした。そして、眠っては起き、眠っては起きをくり返していたのです。赤ん坊だったので当然と言えば当然です。
なぜか恐ろしく疲れていた乳児期とは
そして、ものすごく疲れていました。
ただ寝ているだけなのに、なぜか今でも分かりませんが、ひどくくたくたに体が疲れていた感触があった、という記憶があります。
そして、仰向けのままで起きていると、ものすごく疲れを感じてまた眠ってしまう、そしてまた起きる、という毎日だったような感じです。
そして、赤ん坊だから当然下しもの方は垂れ流しです。
下の方からしたいと催したらそのまま垂れ流し放題でした。
だから当時、自分の漏らした排泄物がくさかった、という記憶も残っているのです。
他にも、そんな赤ん坊の時の記憶をいくつか下にお伝えしてみます。
母親が奥の間の薄暗い場所で自分に授乳していたことも覚えています。
変な話ですが、あのとき飲んだ母乳の味は、すごく美味しかったのを覚えています。
ほどよい甘さがあり、甘すぎずあっさりしすぎない味、というべきでしょうか、とにかくそんな記憶があります。
その味に大体近い味を出しているのが、今でもスーパーなどで売られていますが缶入り、チューブ入りの練乳のようです。
哺乳瓶も使って牛乳を飲まされていましたが、私の横で寝ている父が、私の口の大きさに哺乳瓶の先をハサミで切って調節してくれていました。
他に、父が寝ながら私を両足の裏に乗せて、高い高い、とふざけて笑っていたこともありました。
私は遊ばれながら大声できゃははあ、と笑っていたものですが、その私の笑い顔を見て、父もいっそう喜んでいたようです。
他にももう他界してますが、祖母が自分を背中におんぶして、子守歌を歌ってくれていたことも覚えています。
祖母の歌う調子は何だか独特で、歌がうまいとは言えませんでしたが、それでも背中に負ぶさった私をあやそうと、優しそうに歌ってくれたものでした。
農家だった自宅では、その祖母が、私が赤ん坊からやや成長した頃、私を背負いかごに入れてくれ、1㎞くらい離れた自宅の畑まで背負って運んでくれていました。
そして祖父ももうずいぶん前に他界してますが、よく私を乳母車に乗せて近所を散歩してくれていました。今のベビーカーと違って昔の乳母車は台車に大きな袋を取り付けたような形で、赤ちゃんを中に入れると深々していて、人は上から赤ちゃんをのぞき込むような格好になります。
近所のおばさんがそうやって私の顔をのぞき込んでほほえんでいたことがありました。
生まれる前のことはどうしても思い出せない
ところで、こうして生まれてまだ間もない頃の記憶を話すと、じゃあ赤ん坊の前の記憶ってないものか、もしかしたらこういう疑問も浮かぶのではないでしょうか。
その答えは、なんとなく感覚としては残っている、そういう感じはあるのです。
漠然としすぎていてイメージなどにもならないのですが、ただ確かに何かそういう感触めいたものは残っているのです。
もう少し詳しく言うと、赤ん坊でいる前の記憶があるかと言えば、普通に考えてもあるわけがありません。
でも、もしもこうして生まれてきた、その前に別な生涯を過ごしていたというならば、つまりそれが前世の記憶ということになるわけですが、結果としてどうしても思い出せませんでした。
ですが不思議な実感として、なんとなく思い出せそうになる、そういう気持ちに駆られることはままありました。
確かにこうやって赤ん坊になって生まれてくる前、はっきりとイメージにはならないけれど、どこかで何かをしていたように感じる、ということ。
とりわけ生まれる前のことに記憶を巡らしたとき、今の今までさんざん動き回り、走り回った様な疲労感がどこかにまだ感じとしてある、ということ。
だがこうして赤ん坊になってしまった今、それはあくまでも、体感として体で覚えているような感じがするだけでです。
具体的にどこで何をしていたのか、となるとどうしても思い出せないのです。
それが漠然ですが、頭の中で自分の前世をたぐろうとしていつも感じることです。
思い出そうとしても、どうしてもそのような、前世の情景とか体験とかが思い出せないのです。
ですが、こういう風に感触として漠然に何かを感じながら、どうしても思い浮かばない、そういう体験をすると人情としてよけいに興味がわいてくるものです。
このため、前世について色々知りたいと思いましたし、特に赤ん坊だった頃、鮮明に記憶にある、えもいわれぬ疲労感。
何もしていない、それこそ赤ん坊で寝たり起きたりしていただけなのに、なぜあんなにも激しい運動をした後のように疲労困憊感があったのかどうか。
後で考えてもそれが不思議でなりませんでした。
そして、それが結局こういう方面への関心へとつながっていったのだと思います。
ある二人の人から告げられた自分の前世とは
そして話をちょっと後年のことに持って行きますが、成人後、東京に出てきたついでに名高い霊能者数人に自分の前世を尋ねたこともあります。
そこで言われたのは、私の前世は兵士である。出征して中国に行き、河北や河南に転戦していた。そんなある夜、敵の不意打ちを食らって命を落とした。だから死んですぐまたこの世に生まれ変わってきたことになる、というものでした。
しかしながら、もうひとかたの霊能者に見てもらうと、次のような別な回答が返ってきます。
前世では56歳で他界している、生前は努力した人だった。江戸時代に生活していて、三人の子どもに恵まれ、かつまた兄がいて、その兄に経済的に支えられていたためもあって、自身は自分の好きな技術の習い事に打ち込み、それをを人に教えていたといいます。
どちらが正しいかも分かりませんし、どちらも正しくないかも知れません。というか、正しい、間違っているの二者択一は無理なのかも知れません。
このとき、現実で分かっていることのみを拾い上げてみますが、この二人とも当時有名な霊能者で、特に最初の方は、心霊をテーマとする有名な漫画家に心霊上の知識を与えて深くサポートしていたという女性でした。
スプーン曲げでよく知られる超能力者の守護霊なども霊視したことのある方で、また霊感を高める合宿訓練も主催し、テレビ番組の中で紹介されています。
名前はあえて伏せますが、こうお伝えすると、思い当たるという方もいるかと思います。
この後日、10年くらい後にこの女性霊能者と再会し、たまたま縁あってそういう訓練にも参加を許可されたことがありましたが、その際にも初回と同じ前世の内容を告げられている、といういきさつがあります。
また、二つ目の方は、実のところその霊能者自身による見立てではなく、その人の力添えである別な霊能者に神仏が降りて神がかりになり、その口で語られたものでした。
こういった点を考えると、二人の霊能者の見立てが異なるのは、特に後者の場合、そういう神仏などの高級霊による見立てだったので、一段自分の魂が浄化されていたレベルでの前世の話につながったのではないか、とも思われます。
つまり、このお二方とも霊能者としてそれぞれ相当に信頼性のおける、言い換えれば本物の実力的な霊能者であることを付け加えておきましょう。
どちらもご自身の使命感に忠実で、かなりつましい生活を続けていました。決して相談者を怖がらせたりしないし、ヘンなものを売りつけたり無理に相談やお金をせびろうとしない、というのも説信頼につながりましたし、そして悪評も聞いたことがほとんどありません。
特に二人目の霊能者は、親子で二代三代と続けて霊能者を代々継いでいて、しかも私の前世を霊視した際に同席していたこの方は、その中でも一番の能力者とも仰がれていました。
こういう経験について自分なりの見方を語ると、ひとまず両方とも自分の中では肯定している、つまり正しいとしています。なぜかというと、自己暗示にかかっているかも知れませんが、それでも確かにそういう感触めいたものがあるのです。
その上で、二つをまとめると、次のようになります。
まず私は前の前の世で、江戸時代に生き、そこで56歳で亡くなり、そしてその後の明治時代末期か大正時代、あるいは昭和初期に生まれ変わり、日中戦争あるいは太平洋戦争の間に軍人として中国に渡っていた、というわけではないか、と考えるからです。
もう一つ、そう考える根拠ですが、一つには今現在の自分の生涯が、こういう前世の見立てに共通点が不思議とある点です。
前の前の世、つまり人にものを教える、という事をして収入を得ていて、江戸時代に生きていたかも知れない、とも考えています。
というのは、今の自分と同じような生活だからです。
そして二つ目には、昭和の戦時中の前世です。
赤ん坊の前の記憶を思い出そうとすると、どうしても何かしら激しい闘いのような出来事に巻き込まれていた、そして自分自身もそういう殺気だった状況下にあって、相当な窮地にいたという感触の様なものを感じることがありました。
そして付け加えますと、こういう大きな戦争で兵士などになって命を落とした人たちの多くが、すぐまたこの世に生まれ変わってくるというケースも良くある、という内容を何かの本で読んだことがあります。
つまり私もそのクチではないかとも思うのです。
こうした漠然とした感触めいたものが、赤ん坊の頃、わけもなく全身が妙にくたくたに疲れていた、という感じを思い出すので、それだけ自分の中では説得力を持ってくるのです。
何かの深層的な影響があるかも
ただ、こういう前世の記憶とかが思い出せない、という以前に、普通だったらそういう記憶を持たないのが当たり前、といえます。
スピ的なハナシにもっていくために、結局私もこういう前世のことについてふててみたりしましたが、結局はそういう記憶がないのが普通なのです。
記憶がないのは当たり前ですし、あったからといってもそれを証明するのはほとんど不可能に近いはずです。
まれなケースとしてはあの江戸時代の勝五郎のようなケースもあるのかも知れませんが、それ以上の詮索もできませんし、私の方ではここまでしか話せない、ということになります。
ただ、こういう前世での体験は、ハッキリとは思い出せないにしろ、何らかの形で今生きている私たちの深層的な心理とか体自体にも影響を受けてきているのではないでしょうか。
上にお伝えしたとおり、多少自分の身体的な反応として、そういう前世のショックが影を落としているみたいなこともあるかも知れません。
もちろんこれ自体も何の証明もできないのですが、実のところ私の身体には、やっぱり他にもそういう激動の前世を生きたことを明かしているような、身体的な特徴がまだあるように思います。
あくまでも私個人の、独断に過ぎませんが、そうやって考えていくと、やっぱり長くこの世で生きていると、この世だけを考えて生活するのがちょっと難しく感じるのではないでしょうか。
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